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Viola Dream II
![]() 四万十市へ出張しました。日本最後の清流、四万十川を初めて見て感動し ている私に、JA全農高知のtndさんが、この川沿いを走るマラソンの話をし てくれました。ちょうどその週の日曜日に開催されるマラソン大会こそ、四万 十川ウルトラマラソンだったのです。 「津田さんも走ってみんかね」 「うー ん、マラソンですか。走ったこと無いんですよ」 「普通のマラソンじゃない よ。ウルトラだよ、100kmだよ」 「えっ、100kmですか?」 フルマラソン42. 195kmも走ったことがない私でしたが、100と言う数字に魅かれました。「走 ってみんかね」 たたみかけるtndさん。私は自分と相談しました。 『走れる かな?』 『全く予想できない』 『練習してもダメかな?』 『難しいだろう』 『無理ではないな?』 『わからない』 この間、ほんの一瞬でしたが、私は決 心しました。「やってみましょう!」 この一言にtndさんは、とても喜んでくれ ました。それから後、tndさんは、「来年のウルトラマラソンに、三共アグロ (現在の三井化学アグロ株式会社)の津田さんが走るんよ」 と、あちこちで 宣伝してくれました。おかげでどこへ行ってもその話題で盛り上がり、三共ア グロの知名度はこれまでにないほど上がったのです。 手術から1ヶ月間は激しい運動を控えるよう言われていたのですが、3週間 が過ぎればもう良いだろうと、10月29日からトレーニングを開始しました。こ の日から毎週、天気のよい休日は全て走ることにしました。走る距離も最初 は3km程度だったものを、5km、10km、15kmと伸ばして行きました。8月のお 盆休みからは、実戦を想定した練習に取り組みました。暑さ対策と給水の 練習です。自宅を基点として1周5kmのコースを走り、給水してまた走りま す。この練習には、長男が大いに協力してくれました。真夏の日中に走るこ の練習は、厳しいものでした。30kmを目標に走りましたが、足が攣って走れ なくなることもありました。給水に失敗して、熱中症でフラフラになったこと も。大会まで3週間に迫った時点で、たった30kmでさえまともに走れない自 分には、100kmと言う距離が果てしなく遠いものに思えたのです。 10月6日、本番で使うシューズを履いて最後の練習を終えました。結局、1 回の練習の走行距離は最高で30km、1年間で走った距離が1074km。最も 練習量が多かった9月の走行距離が180kmでした。ウルトラマラソンを走る には、1ヶ月に300-500km、最低でも200kmが必要と言われていますので、 私の練習量は少ない部類に入ります。それでも、平日の睡眠時間が5時間 未満と言う環境の中で、精一杯のことをしたと思います。最後の1週間は、 体調管理に気を使いました。ところが。10月12日(金曜)、自宅での最後の 夕食はカキフライでした。カキが大好きな私はつい食べ過ぎてしまい、翌13 日(土曜)の朝は腹痛で目が覚めました。あれだけ体調管理に気をつけてい たのが、一晩でご破算です。悪いことは続くもので、野洲から新大阪へ向か う新快速は、人身事故で大幅に遅れました。新大阪から伊丹空港へのバス に乗り遅れた私は、タクシーで空港へ。最悪な気分でしたが、それで逆に開 き直りました。機中ではほぼ熟睡し、松山空港に着いた時には平静を取り 戻しました。松山空港から車で3時間、ようやく高知県四万十市に到着。前 夜祭は5時に始まりましたが、あっという間に食べるものが無くなり、予定よ り1時間も早い6時に終了。床に就いたのは9時半。 そして、14日(日曜)。早朝2時過ぎに起床。オニギリ2個、パン4個、ゼリー飲料2袋を食べてから風呂に入り、3時半に仲間 とホテルを出発。100kmスタート地点である蕨岡中学のグラウンドは、約 1900人のランナーに加え、ボランティアや報道陣ですごい熱気でした。開会 式が終わると、選手はスタート地点へ。5時30分、まだ夜明け前で暗い中、 第13回四万十川ウルトラマラソンがスタートしました。15kmほど走ると急な 上り坂になり、最初の難関、高低差600mの峠越えです。疲れたら歩こうと思 っていましたが、呆気なくクリア。調子に乗って下り坂をかなり飛ばしまし た。これがいけなかったようで、50kmを過ぎた辺りから、右膝が痛み始めま した。62kmの休憩所では、待っていた仲間に心配かけまいと明るく振舞って いたものの、そこを出発して3kmも走らないうちに、右膝はほとんど動かせ ない状態に。残り35km。残された時間は、6時間半。 痛みで動かせなくなった右膝。休んでも回復しないと判断した私は、残り 35kmを休憩なしで進むことにしました。と言っても、右膝が動かせないの で、左足だけが頼りです。高校時代に陸上部を辞めたのは、この左足の膝 を痛めたからでしたが、今はその左足に全てを賭けるしかありませんでし た。四万十川ウルトラマラソンでは、シューズにICタグを付けて走ります。こ れが20km毎に設置されたセンサーで感知され、携帯電話にメールが届く仕 組みになっていました。62kmで別れた後、なかなか80km通過のメールが届 かないので仲間は心配したことでしょう。80kmを越えた時、私の頭にあった のは、皆に済まないと言う気持ちだけでした。80kmを越えて、最後の2時間 半が私にとって、本当の意味でのウルトラマラソンだった様に思います。もう 陽が落ちてすっかり暗くなった川沿いの道を、1kmまた1kmと歩を進めまし た。いつの頃からでしょう。「頑張って!」と言う沿道の声援が、気が付けば、 「よく頑張ったね、お帰り!」に変わっていました。99km。最後の標識が見え ました。ここからの1kmの何と長かったことでしょう。中村高校の門をくぐった ら、煌々と照らされた道を走ります。最後くらいは笑顔で走らなきゃ、と言う 気持ちがあったので、ラスト200mほどは激痛に耐えて走りました。午後6時 49分52秒、ついにゴール。首に掛けて貰った完走メダルの重かったこと。一 般男子の部の参加者1173名、完走者875名の中、私は510番目のゴールで した。「遅くなってゴメンねー」 待っていた仲間への第一声。結構、感動的 な場面です。が、私の次の一言で皆がコケました。「腹減ったー、メシ食いに 行こうぜ!」 ウルトラマラソン完走には、もちろん、走力が必要です。でも、 もっと必要なのは、諦めない強い気持ちと、丈夫な消化器のようでした。 100kmを走る途中に私が食べたもの。バナナ4本、缶ミカン約200g、缶詰パ イン1切れ、梨1/8個、梅干2個、ゼリー飲料6個(約1kg)、味噌汁2杯、鯖寿 司2個。体重を量ったら、走る前と全く同じでした。食べた分は全て、"燃料" として消えてしまった計算になります。丈夫な胃袋と負けん気の強さは、親 譲り。産んでくれた両親に感謝。練習に協力してくれた家族に感謝。マラソ ンに誘ってくれたtndさんと、休日にもかかわらず応援に来てくれた仲間にも 感謝。沿道で声援を送ってくれた地元のボランティアの皆さんにも感謝で す。 ![]()
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