Viola Dream II

えちご・くびき野100kmマラソン(2012): 挑戦記

 スタートから69.4km、うらがわらいきいきセンターの手前の道は、大勢の中
学生の大きな声援でいっぱいでした。「がんばれー! がんばれーっ!」 そ
の声に押されるように、左足を引きずって走ります。レストエイドに妻の姿が
見えました。あと50m、20m、10m・・・。しかし、そこで待っていたのは妻だけ
ではなく、制限時間1分超過という辛い現実。14時51分、私の4回目のウルト
ラマラソン挑戦は終わりました。

 今年5月の赤穂ウルトラマラソンに挑戦するも60kmでリタイア。翌週から練
習を再開しましたが、右膝痛でおよそ2ヶ月間、満足な練習ができない状態
に。そんな中、貧血の治療を受けている病院の担当医師から、「うちのリハ
ビリは結構すごいらしいよ」との話を聞き、わらにもすがる思いで行ってみま
した。7月21日、診察を受けた医師の印象は正直、良くありませんでしたが、
リハビリ室の先生は丁寧で分かりやすく指導してくださり、その後、約1ヶ月
間に4回の治療を受け、ようやく右膝痛が回復。それからウルトラマラソン当
日までの1ヵ月半、急ピッチで練習を重ねました。

 大会前日は休暇を取って上越市へ行きたかったのですが、会社の研修の
ために休むことができませんでした。研修後すぐに上越市へ向かっても受
付時間に間に合わないこともあって、滋賀県から妻が応援に来てくれること
に。受付も代わりに済ませておいてくれました。10月5日、私は新幹線の車
内で駅弁を食べて21時前に直江津に着き、22時前に就寝。昨日から睡眠時
間が短いことと、ちゃんとした食事が出来ていないことが少し不安。

 10月6日、午前2時過ぎに起床して、おにぎり3個、納豆3パックの朝食。い
つもはあまり苦労することの無いトイレですが、珍しく起床1時間以上経って
も出てくれません。仕方なく、妻とともに4時前の巡回バスでスタート会場の
リージョンプラザ上越へ。天気予報は曇りで無風、夜に雨とのことでした。気
温は17-25℃と、この時期にしては少し暑いのですが、走る環境としては良
好です。5時30分、少し明るくなってきた空の下、妻に見送られてスタートで
す。

 スタートから1時間12分後、ほぼ予定通りの時間に三和区総合事務所に
設けられたレストエイドに到着。公私とも大変お世話になっている上越市三
和区在住のtkdさんと奥様が、早朝にもかかわらず応援に来てくださってい
ました。健闘を約束し、エイドでもらったおにぎりを1個、手に持って食べなが
ら先を急ぎました。

 しばらく走るとようやく、トイレに行きたくなってきました。26.1kmの板倉区
総合事務所のレストエイドでトイレタイム。うーん、出たような全部出てない
ような・・・。普段は毎日"快腸"なのに、大会前の2日間ほとんど野菜を食べ
てなかったのが悪かったのか、などと考えながらも、再び出発です。ここで
のロスタイムはかなり大きく、30kmを通過したのは予定より11分も遅い8時
44分でした。

 35kmを過ぎた頃からだったでしょうか、左膝がフワフワした感じで力が入
らなくなってきました。膝痛の前触れです。少し歩幅を狭めて腰高フォームを
意識して走るようにし、痛みがひどくならないよう祈りました。40kmの手前ま
で来ると、登り坂になります。えちご・くびき野100kmマラソンの名物、5つの
峠越えの始まりです。最初の峠を登りきった時点で、私の左膝にはもうかな
りの痛みがありました。下り坂では痛みがあってもかっ飛ばすつもりでした
が、500mも耐えられませんでした。左足を滑らせるように引きずりながら、
駆け下ります。膝の負担を軽くするために足首で着地の衝撃を抑えようとし
たのか、あるいはシューズの紐をきつく締め過ぎたのか、足の甲にも強い痛
みが発生。妻とtkdさんが待つ51kmのB&G海洋センターにたどり着いた頃に
は、もう満足に走れない状態でした。

 B&G海洋センターで20分近く休憩した後、11時48分に再スタート。ここから
60kmを過ぎるまでの記憶がどうにもハッキリしません。下り坂では左膝の強
い痛みのために、登り坂では疲労から来る猛烈な眠気のために、意識がボ
ンヤリしてきます。60.4kmの給水所で、「あと9km、82分で走れば間に合う
よ!」と声を掛けられ、やっと意識が戻った感じ。ひたすら下る急な坂道、膝
の痛みでだんだん時間の感覚がおかしくなった上、第2関門=うらがわらい
きいきセンターの制限時間を14時20分と勘違いした私は、63.5kmのエイドで
もう間に合わないと思ってトイレに行ってしまいました。なかなか前の人が出
てきませんでしたが、焦る気持ちも無く、ただ肩を落として待っているだけで
した。

 65kmを通過したとき、すぐ後ろを走っているランナーの会話が聞こえまし
た。「次の制限時間は14時50分だよね。」 時計を見ると14時10分。何? あ
と40分あるの? 朦朧とした私の頭では、1km何分で走れば良いのか何度
考えても計算できませんでした。とにかく急がなければ! 虫川大杉、見た
かったな・・・。まだ3つしか峠を越えてないのか。せめて大きな峠4つは越え
たかった・・・。虫川大杉駅前の給水所を通過しながら、そんなことを考えて
いました。そのとき私はすでに虫川大杉を通り過ぎており、峠も4つ越えてい
たのですが。

 第2関門所うらがわらいきいきセンターのレストエイドのベンチ。ポロポロこ
ぼれる涙が地面に染み込んでいきます。あと1分、たった1分、されど1分。ス
タートからの9時間21分のどこかで、1分くらい短縮できなかったのか。痛め
た膝と足首に、氷の入ったビニール袋を手で押し当てていると、指が凍えて
しびれてきました。そこへレストエイドのボランティアの女性が来て、私の足
を氷でマッサージしてくれました。自分の足を冷やしていても凍えて辛いの
に。もうこの後は走ることも許されないのに。申し訳ない、ただそれだけでし
た。

 座り込む自分を見ることはできないはずですが、私の脳裏には、レストエイ
ドのベンチにうなだれて座る私自身が焼きついています。今でもあそこに
は、まだ私が座り込んだまま、ずっと泣いていることでしょう。私は浦川原に
置き去りにしてきた私自身を迎えに行きたい。完走できなかったのは、明ら
かに私の力不足。何年先になるかわかりませんが、膝を治し心を鍛えて、
必ず、えちご・くびき野100kmマラソンを完走しようと思います。

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