Viola Dream II

えちご・くびき野100kmマラソン(2014): 完走記




 10月11日の17時過ぎ。特急はくたかの車内で、妻が作った弁当で早めの
夕食。2年前と違って今回は、一人での参加。リージョンプラザ上越で受付を
済ませてホテルに戻り、入浴後、20時半に床に就きましたが、心が高ぶって
いるのか、なかなか眠れませんでした。
 10月12日(当日)は2時半に起床。リンゴジュース、パン2個とシジミの佃煮
だけの軽い朝食。それでも昨日の早めの夕食が功を奏したのか、スムーズ
にトイレを済ませ、4時過ぎに徒歩でリージョンプラザ上越へ。2年前にこの
大会で痛めた股関節の痛みは回復せず、歩いていても左足の付け根、太
腿裏側には1歩ごとに痛みが走ります。

 半袖Tシャツとランパンの上にジャージを着ただけでは、寒すぎる朝。トラ
ンジットを預けた後、私は45Lごみ袋で作った"防寒着"を着用。5時過ぎには
スタートゲートのそばに立ち、2年前のあの日のことを思い出していました。
妻に見送られてのスタート、30q過ぎからの足のトラブル、そして、浦川原
いきいきセンターでの無念のリタイア…。天頂近くで銀色に輝く月が、私を現
実に引き戻してくれました。そして5時半。振り返るものが無い今回は、ただ
前だけ見てスタートです。

 最初から痛む左足。でも、これは練習の時からずっと同じ。つまり、想定
内。そう自分に言い聞かせて走りました。早朝の水田沿いの道。気温は10
度近くでかなり寒く、手がかじかんできました。周りのランナーの吐く息も白
くなっています。手袋をトランジット袋から出すのを忘れたのは失敗! ごみ
袋製防寒着が無ければどうなったことか…。毎度のことながら自分の軽率
さに呆れます。5:59、山の中から太陽が顔を出すと、水田の様子が一変。
畦畔のスギナについた夜露が、宝石のようにキラキラと輝いています。ぼう
っと見とれるほどの美しい風景の中、レースは続きます。

 10q、20qで時間を確認。1qを6分かけずに走っていました。呼吸が楽な
ので疲労感は無いのですが、股関節と左膝の痛みが次第に強くなってきた
ため、少し歩幅を狭くして走ることにしました。股関節の痛みは何とか耐えら
れる範囲で抑えられましたが、30qを越えない内に、両足のふくらはぎや太
腿が痙攣し始めました。単なる練習不足かランニングフォームの問題なの
か、あるいは貧血が関係しているのかよくわかりませんが、ここ3回のウルト
ラマラソンでは毎回、30-40qで痙攣し始めます。だから、これもまた想定の
範囲内。無視して前進あるのみです。

 35qを過ぎてからの峠越え。今回は早くから足が痙攣し始めたので、登り
は歩き通すことにしました。ただし、速足で。日本一と言われる関西人の歩
きの速さ。その中でも私は歩くのが早い方だと思います。その私の速足です
から、登り坂でも1キロ9分ほどでしょうか。ゆっくり走る人を追い抜きながら
どんどん登ります。そして、この間に休めた「走る筋肉」を下り坂や平坦な道
で使う。足の筋肉は常に痙攣しっ放しで、まるで筋肉の中に何か虫のような
ものがいて動き回っているような感覚でしたが、とにかくひたすら痛みに耐
え続けました。4つ目の峠を登って下ると、ほくほく線の高架線路の下をくぐ
ります。太鼓の音と気合の入った声援で迎えてくれたのは、虫川大杉駅の
給水所でした。ということは、今回も虫川大杉を見ることなく通り過ぎたよう
です。あと2qで浦川原いきいきセンター。スタート時と同じく、2年前の記憶
が戻ってきます。大きな声援、痛む足、座り込んだパイプ椅子、地面に浸み
込む涙…。浦川原に置き去りにしてきた私自身を迎えに行き、そして、取り
戻した自分と一緒にゴールすること。それが今回の目的です。

 14:08、浦川原いきいきセンター(第3関門)に到着。エイドのスタッフが配
る冷たいおしぼりをもらって、パイプ椅子に座りました。「迎えに来たよ…」 
あの時の悔し涙とは違う涙は、顔に当てた冷たいおしぼりが隠してくれまし
た。2分後、立ち上がった私の足は痛みと痙攣でボロボロでしたが、何が何
でも完走するんだという想いはむしろ強くなっていました。ここから先は、初
めて走る道です。5つ目の峠も越えた私は、15:29に78.4q、吉川区総合事
務所のレストエイドに到着。このあたりから次第に気温が低くなってきて、暖
かい麦茶がおいしく感じられるようになりました。あと21.6qを2時間半で走
れば間に合う計算です。けれども、そうすんなりいかないところがウルトラマ
ラソン。85qの柿崎区総合事務所(第4関門)での給水の際、紙コップをごみ
袋に入れようとしたとき、左足のふくらはぎが攣りました。慌てて抑えようと
したら続いて右足も。懸命にこらえようとしましたが、そのまま倒れてしま
い、痛みにのた打ち回ること2-3分。ようやく起き上がった私の目に、救護所
のマッサージの空いたベッドが! 大急ぎで、とは言ってものろのろと救護
所へ行き、マッサージをお願いしました。「ちょっと痛いよー(スタッフ)」「あ"
−!!(私)」 5分後、私は何とか再びコースに戻ることができました。

 あと15q。しかし、もし先ほどのような痙攣を起こしたら、もう歩くことすらで
きないかもしれない。私は"走る"ことを断念しました。ひたすら、速足。休憩
も無しで、とにかく速足。足の付け根から足の裏まで、いつもどこかがピクピ
ク攣っている状態で、痛みをこらえて速足。最後の給水所を過ぎるともうか
なり暗くて、足元がよく見えませんでした。何かにつまずいて転べば、さっき
の痙攣が起こるかもしれない。痛みと不安でいっぱいの中、沿道で応援して
くれる皆さんの「お帰り! もう少しだよ!」との声に、どれだけ勇気づけら
れたことでしょう。ユートピアくびき希望館の中へと続く道に入り、レッドカー
ペットが見えた瞬間、初めて完走を確信しました。ちょうどランナーが途切れ
て私一人だったため、左右にずらりと並んだ人たちと、ありがとうの連呼で
ハイタッチ。18:45、フィニッシュゲートに張られた白いテープを切りました。
     
 30qの手前で足が攣ってからは満足に走ることができず、登り坂を全て歩
いたのと合わせると、40q以上は歩いたことになります。それでも完走でき
たのは、沿道の皆さんの温かい声援、エイドの皆さんの心のこもったおもて
なしがあったからだと思います。ありがとうございました。前日夕食の弁当を
含め体調管理をしてくれた妻、受験生にもかかわらず毎晩マッサージをして
くれた娘(今度こそ合格しろよ)に、感謝。仕事中に甘いものを食べ過ぎない
よう見張ってくれたIさん、走行プランをラミネートしてくれたMさん、たくさん
の助言をくれたウルトラランナーOさんなど会社の同僚にも感謝です。そし
て、公私ともに大変お世話になっており、今回も早朝から応援に来てくださ
った上越市在住のtkdさんにSpecial Thanks!です。

 10月13日、早朝6時過ぎの各駅停車に乗って虫川大杉駅で下車。痛む足
を引きずって、虫川大杉に会いに行きました。樹齢1200年の大木はコース
のすぐ横にありました(左下の写真)。2年前と昨日の2回、真横を通ってい
たのに私は気が付かなかったのです。まるで、完走するまでその姿を見せ
てくれなかったかのようでした。

     

 今回履いたのは、MIZUNOのWAVE MARCURY2です(右上の写真)。左下
の写真は、参加賞の半袖Tシャツ。完走メダル(右下の写真)は越後杉の板
に金色の金属プレートがはめ込んでありました。裏面には「義のこころ 謙
信公の地 いざ出陣」と書かれています。
          

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