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Viola Dream II
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10月11日の17時過ぎ。特急はくたかの車内で、妻が作った弁当で早めの
夕食。2年前と違って今回は、一人での参加。リージョンプラザ上越で受付を 済ませてホテルに戻り、入浴後、20時半に床に就きましたが、心が高ぶって いるのか、なかなか眠れませんでした。
10月12日(当日)は2時半に起床。リンゴジュース、パン2個とシジミの佃煮
だけの軽い朝食。それでも昨日の早めの夕食が功を奏したのか、スムーズ にトイレを済ませ、4時過ぎに徒歩でリージョンプラザ上越へ。2年前にこの 大会で痛めた股関節の痛みは回復せず、歩いていても左足の付け根、太 腿裏側には1歩ごとに痛みが走ります。
半袖Tシャツとランパンの上にジャージを着ただけでは、寒すぎる朝。トラ
ンジットを預けた後、私は45Lごみ袋で作った"防寒着"を着用。5時過ぎには スタートゲートのそばに立ち、2年前のあの日のことを思い出していました。 妻に見送られてのスタート、30q過ぎからの足のトラブル、そして、浦川原 いきいきセンターでの無念のリタイア…。天頂近くで銀色に輝く月が、私を現 実に引き戻してくれました。そして5時半。振り返るものが無い今回は、ただ 前だけ見てスタートです。
最初から痛む左足。でも、これは練習の時からずっと同じ。つまり、想定
内。そう自分に言い聞かせて走りました。早朝の水田沿いの道。気温は10 度近くでかなり寒く、手がかじかんできました。周りのランナーの吐く息も白 くなっています。手袋をトランジット袋から出すのを忘れたのは失敗! ごみ 袋製防寒着が無ければどうなったことか…。毎度のことながら自分の軽率 さに呆れます。5:59、山の中から太陽が顔を出すと、水田の様子が一変。 畦畔のスギナについた夜露が、宝石のようにキラキラと輝いています。ぼう っと見とれるほどの美しい風景の中、レースは続きます。
10q、20qで時間を確認。1qを6分かけずに走っていました。呼吸が楽な
ので疲労感は無いのですが、股関節と左膝の痛みが次第に強くなってきた ため、少し歩幅を狭くして走ることにしました。股関節の痛みは何とか耐えら れる範囲で抑えられましたが、30qを越えない内に、両足のふくらはぎや太 腿が痙攣し始めました。単なる練習不足かランニングフォームの問題なの か、あるいは貧血が関係しているのかよくわかりませんが、ここ3回のウルト ラマラソンでは毎回、30-40qで痙攣し始めます。だから、これもまた想定の 範囲内。無視して前進あるのみです。
35qを過ぎてからの峠越え。今回は早くから足が痙攣し始めたので、登り
は歩き通すことにしました。ただし、速足で。日本一と言われる関西人の歩 きの速さ。その中でも私は歩くのが早い方だと思います。その私の速足です から、登り坂でも1キロ9分ほどでしょうか。ゆっくり走る人を追い抜きながら どんどん登ります。そして、この間に休めた「走る筋肉」を下り坂や平坦な道 で使う。足の筋肉は常に痙攣しっ放しで、まるで筋肉の中に何か虫のような ものがいて動き回っているような感覚でしたが、とにかくひたすら痛みに耐 え続けました。4つ目の峠を登って下ると、ほくほく線の高架線路の下をくぐ ります。太鼓の音と気合の入った声援で迎えてくれたのは、虫川大杉駅の 給水所でした。ということは、今回も虫川大杉を見ることなく通り過ぎたよう です。あと2qで浦川原いきいきセンター。スタート時と同じく、2年前の記憶 が戻ってきます。大きな声援、痛む足、座り込んだパイプ椅子、地面に浸み 込む涙…。浦川原に置き去りにしてきた私自身を迎えに行き、そして、取り 戻した自分と一緒にゴールすること。それが今回の目的です。
14:08、浦川原いきいきセンター(第3関門)に到着。エイドのスタッフが配
る冷たいおしぼりをもらって、パイプ椅子に座りました。「迎えに来たよ…」 あの時の悔し涙とは違う涙は、顔に当てた冷たいおしぼりが隠してくれまし た。2分後、立ち上がった私の足は痛みと痙攣でボロボロでしたが、何が何 でも完走するんだという想いはむしろ強くなっていました。ここから先は、初 めて走る道です。5つ目の峠も越えた私は、15:29に78.4q、吉川区総合事 務所のレストエイドに到着。このあたりから次第に気温が低くなってきて、暖 かい麦茶がおいしく感じられるようになりました。あと21.6qを2時間半で走 れば間に合う計算です。けれども、そうすんなりいかないところがウルトラマ ラソン。85qの柿崎区総合事務所(第4関門)での給水の際、紙コップをごみ 袋に入れようとしたとき、左足のふくらはぎが攣りました。慌てて抑えようと したら続いて右足も。懸命にこらえようとしましたが、そのまま倒れてしま い、痛みにのた打ち回ること2-3分。ようやく起き上がった私の目に、救護所 のマッサージの空いたベッドが! 大急ぎで、とは言ってものろのろと救護 所へ行き、マッサージをお願いしました。「ちょっと痛いよー(スタッフ)」「あ" −!!(私)」 5分後、私は何とか再びコースに戻ることができました。
あと15q。しかし、もし先ほどのような痙攣を起こしたら、もう歩くことすらで
きないかもしれない。私は"走る"ことを断念しました。ひたすら、速足。休憩 も無しで、とにかく速足。足の付け根から足の裏まで、いつもどこかがピクピ ク攣っている状態で、痛みをこらえて速足。最後の給水所を過ぎるともうか なり暗くて、足元がよく見えませんでした。何かにつまずいて転べば、さっき の痙攣が起こるかもしれない。痛みと不安でいっぱいの中、沿道で応援して くれる皆さんの「お帰り! もう少しだよ!」との声に、どれだけ勇気づけら れたことでしょう。ユートピアくびき希望館の中へと続く道に入り、レッドカー ペットが見えた瞬間、初めて完走を確信しました。ちょうどランナーが途切れ て私一人だったため、左右にずらりと並んだ人たちと、ありがとうの連呼で ハイタッチ。18:45、フィニッシュゲートに張られた白いテープを切りました。 ![]()
30qの手前で足が攣ってからは満足に走ることができず、登り坂を全て歩
いたのと合わせると、40q以上は歩いたことになります。それでも完走でき たのは、沿道の皆さんの温かい声援、エイドの皆さんの心のこもったおもて なしがあったからだと思います。ありがとうございました。前日夕食の弁当を 含め体調管理をしてくれた妻、受験生にもかかわらず毎晩マッサージをして くれた娘(今度こそ合格しろよ)に、感謝。仕事中に甘いものを食べ過ぎない よう見張ってくれたIさん、走行プランをラミネートしてくれたMさん、たくさん の助言をくれたウルトラランナーOさんなど会社の同僚にも感謝です。そし て、公私ともに大変お世話になっており、今回も早朝から応援に来てくださ った上越市在住のtkdさんにSpecial Thanks!です。
10月13日、早朝6時過ぎの各駅停車に乗って虫川大杉駅で下車。痛む足
を引きずって、虫川大杉に会いに行きました。樹齢1200年の大木はコース のすぐ横にありました(左下の写真)。2年前と昨日の2回、真横を通ってい たのに私は気が付かなかったのです。まるで、完走するまでその姿を見せ てくれなかったかのようでした。 ![]()
今回履いたのは、MIZUNOのWAVE MARCURY2です(右上の写真)。左下
の写真は、参加賞の半袖Tシャツ。完走メダル(右下の写真)は越後杉の板 に金色の金属プレートがはめ込んでありました。裏面には「義のこころ 謙 信公の地 いざ出陣」と書かれています。 ![]()
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