Viola Dream II

すみれと命2

 2004年6月6日に『すみれと命』で書いた父の癌は、あれから5年、再発せ
ずに済んでいる。手術もできないほどの状態だった食道癌だが、抗癌剤と
放射線治療で奇跡的に治まってくれた。父は酒やタバコを止め、以前よりも
元気になった。

 ところが、である。父の癌が治まったのとほとんど時を同じくして、今度は
母が癌で入院した。2006年9月のことである。それから2年後、母の癌が再
発。2009年6月25日、入院中の母から夜10時過ぎに電話があった。担当医
から家族に話があるので、病院へ来て欲しいとのことだった。これまで母か
らの電話が、夜9時を過ぎてかかってくることは無かった。電話で聞く母の声
からも、ただ事ではないことが感じられた。

 6月29日、病院には父、弟、私の3人が集まった。担当医は、私たちを母の
病室の近くの面談室へと案内し、母の癌の状態について説明してくれた。
「早ければ3ヶ月。一般的には6-9ヶ月です。2年は持ちません。」 父と弟
は、ショックを隠せなかった。
 医師の説明は私の予想の範囲内だった。心の準備はできているつもりだ
った。それでも、感情を抑えるのに大変な努力が必要だった。

 担当医は母にも全てを話してくれていた。母は、「今が幸せの絶頂なので、
治療を受けずにこのまま死にたい。」との意思を担当医に伝えていたためで
ある。
 これまでほとんど病気になることもなく、元気のかたまりのような母は、皆
から100歳まで生きるだろうと言われてきた。それが、まだ71歳なのに。

 病室へ戻った私たちに向かって、母は、「もう、このまま死なせてな。」と言
った。抗癌剤の副作用はもちろん、病院での診察も嫌だとのことだった。私
は悲しかった、母がもう諦めてしまっていることに。それから3日後、仕事で
宿泊したホテルで深夜、私は母に手紙を書いた。「最後まで諦めず、母らしく
生きて欲しい。」と。

 その後、母は家族の言葉に従い、病院で治療を受けるようになった。抗癌
剤の副作用や手術後の傷口の痛みで、自由に動けないことが辛くてたまら
ないとこぼしているが。確かに母はじっとしていることが嫌いで、とにかくよく
働く人だった。体力や健康に自信があっただけに、動けない体に対して強い
不満や絶望を感じているようだ。気持ちは理解できるが、今は耐えるよう諭
すしかない。

 癌が再発して病院へ行くまでの数ヶ月、「今が最高に幸せ。思い残すこと
は何も無い。」と、母は頻繁に口にしていた。今になって思えば、再発した癌
を見て、自分の命が長くないことを感じての言葉だったのだろう。もしかする
と、誰かがそのことに気付いてくれることを待っていたのかもしれない。「もう
少し早く、病院へ来て治療を受けてくれていれば。」 医師はそう言った。母
の言葉に何か不自然さのようなものを感じながら、何もできなかったことが
悔やまれる。

 担当医が「2年は持ちません。」と言ったのは、あくまでも治療を全て中止し
た場合のことである。ただし、医師は「今回再発した癌は完治しないでしょ
う。」とも言った。
 人もすみれも生き物は皆、いつかは死ぬ。生まれた瞬間から、死に向かっ
て生きているとも言えるだろう。しかも、多くの場合、自分がいつ死ぬかはわ
からない。そう考えると、自分の命がおよそどのくらいかわかっていること
は、決して悪いことばかりでもない。限られた時間を、本人と家族が有意義
に過ごせるならば。

 母はこれまで、とにかくよく働いた。だから、人生の終盤はゆっくりして欲し
いと思う反面、最後まで母らしく精一杯生きて欲しいとも思う。そして、できる
ことならば、その生き様を孫たちにもしっかりと見せて(教えて)欲しいと願
う。
 今はただ、母が望むとおり、金婚式までは父と二人、仲良く暮らせるよう切
に祈る。

2009年12月31日

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