Viola Dream II

生きることの意味とすみれ

 自分が何故生きているのか、生きることの意味は何かと言うことを思い悩
んだことのある人は多いだろう。しかし、そこに確固たる答えを見出せた人
はどのくらいいるだろうか。何故、答えが出せないのか。答えは存在しない
のか。

 全ての生物には遺伝子というものがあること、遺伝子には生物を形作った
り生命活動を支えるために必要な情報が記されていることは、広く知られて
いることである。遺伝子の本体がDNAであることが発見されたのは1944年、
ちょうど60年前のことである。その後の研究で、遺伝子に関する多くの不思
議が解明され、人類は遺伝子を操る技術さえ手に入れつつある。

 アメリカで、日持ちするトマトとして遺伝子組換え作物が登場したのが1994
年、つまり今から10年前である。これは日本でも大きな話題となったが、遺
伝子組換え作物、と聞いて多くの人が不安や抵抗を感じたことは間違いあ
るまい。

 遺伝子組換え技術による育種が行われる前から、人類は植物を"改造"し
てきた。有毒な植物の毒性を低下あるいは消失させたり、硬い葉を柔らか
く、すっぱい果実を甘く大きくといった具合に改造してきた。交配と言う自然
に近い改造にとどまらず、放射線照射によって遺伝子に変異を起こす方法
で改造された作物も数多い。しかし、このような方法で改造された作物に対
して不安を感じる人は少数派である。

 放射線照射による突然変異の場合、どの遺伝子が変異したのか、いくつ
の遺伝子が変異したのか明らかでないことが多い。これに対して遺伝子組
換え作物は特定の遺伝子を導入したり破壊するのであるから、変異した遺
伝子は明らかである。それでも、多くの人が突然変異育種より遺伝子組換
え育種に対して不安を感じるのはなぜだろう。

 リチャード・ドーキンス著の『利己的な遺伝子』によると、我々人類を含めて
全ての生物は遺伝子の乗り物なのだそうだ。自分のコピーを残すことだけ
を最大の目的とする利己的な遺伝子が我々の本質であり、肉体はそのため
の道具に過ぎないと言うわけだ。

 我々が遺伝子の乗り物に過ぎず、遺伝子の命令に従って生きているのだ
とすれば、合点が行くことも多い。遺伝子組換え作物に対する漠たる不安
は、我々が人間として感じているのではなく、遺伝子自らが感じる不安なの
ではないか。主人であるはずの自分を作り変えてしまうのだから恐怖を感じ
て当然かもしれない。

 生きることの意味、人生の目標についても、もう一度考えてみると、幸せな
家庭を築く、名をあげる、富を得る、いずれも子孫すなわち遺伝子のコピー
を効率よく残すことにつながる。言い換えれば、どんなに素晴らしいと思える
目標を掲げたところで、所詮、それは利己的な遺伝子の目的を達成するた
めの一手段に過ぎないのかもしれない。

 だからと言って人生がつまらないと言うつもりはない。私が利己的な遺伝
子の乗り物であっても、私の人生は私のものであり、遺伝子の利己的な主
張にいつも私が従うとは限らない。

 すみれも人間と同様、利己的な遺伝子の乗り物であろうから、彼女の遺伝
子が命ずるままに子孫を増やすことに専念しているのであろうか。きれいな
花を咲かせて人間を誘惑することも、種族保存のための戦略であろう。そう
言った意味では、すみれは野草の中でも人間の利用に成功している部類か
もしれない。

 息子と二人で散歩中に、彼が何のために生きているか訊いてみた。小学4
年生の息子はさんざん考えた挙句、以下のような答えをひねり出した。
『みんなが住みよい地球にするため、かなあ』

 面白い答えだと思った。利己的な遺伝子は自分のコピーを残すことを最優
先するが、その一方で、種族保存にも尽力する。息子の答えはまさにそれ
に当てはまるようだ。彼が高校生になったら、あるいは成人したらまた同じ
質問をしてみよう。今度はいったいどんな答えが返ってくるのだろうか。

2004年2月28日

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