Viola Dream II

すみれと親切

 私が妻、二人の子供と住んでいるのは滋賀県野洲町である。私の親は兵
庫県宝塚市、妻の親は京都府伏見区に住んでいる。1998年7月25日に私は
初めて子供たち二人だけで電車に乗せ、京都駅まで行かせることにした。
長男は5歳、長女は3歳であった。京都駅で妻の父親が出迎えることになっ
ていた。プラットフォームで電車を待つ二人の子供に私は駅の外から何度も
手を振った。子供たちのそばには、私の母より少し若い感じの女性が立って
いた。その女性は手を振る子供たちの方をちらちら気にしている様子だっ
た。

 後で子供たちから聞いた話によると、この女性は子供たちが二人だけで
電車に乗った後ずっと付き添ってくれただけでなく、京都駅で出迎えた妻の
父が本当に子供たちの"祖父"か確認してから子供たちを引き渡してくれた
そうだ。他人の子供のことなど知らん顔の大人が増えたこともあって子供の
連れ去り事件が絶えない昨今であるが、滋賀県民、特に野洲町民はまだま
だ地域で子供たちを守ろうとする意識が高いことを再認識させられた。とて
も嬉しかった。その女性がこのホームページを見て下さる可能性はほぼ0パ
ーセントであるが、その親切に対してここにあらためて感謝の意を表する次
第である。

 その後すっかり子供たちだけで京都や宝塚の祖父母宅へ行けるようにな
った二人は2004年4月6日、大きな失敗をする。伏見の家を出発した彼らは
京都駅で近鉄からJRに乗り継いで帰ってくるのだが、その途中でJスルーカ
ードを紛失したのである。子供たちは余分なお金を持っていなかったので切
符を買うことができない。兄は妹にJスルーカード紛失を告げ、妹は泣いた。
それでも二人はすぐに落ち着きを取り戻し、どちらともなく駅員のところへ行
こうと決めた。

 最初にJR、次いで近鉄の駅員に話した。近鉄の駅員は紛失した可能性の
ある駅へ電話をしてくださったが、カードは見つからなかった。駅員は次に
自宅へ電話をし、私の妻に事情を話してくださった。妻は迎えに行くつもりだ
ったがその近鉄の駅員さんは兄妹に500円を貸してくださり、二人はそのお
金でJRの切符を買って帰って来た。翌日、再び子供たちだけで近鉄京都駅
へ行き、駅員さんに礼を言って500円を返した。駅員が乗客にサービスする
ことは当然だとする見方もあるかもしれないが、子供たちには二つの意味で
良い経験になった。大切なものはしっかり持っていなければいけないこと、
そして親切に対する感謝の気持ちである。

 すみれは春先早々に花をつけ、葉を少しばかり広げたかと思うとじきに他
の植物に埋もれて見えなくなることがある。従って、すみれはどちらかと言う
と競争が余り得意ではないタイプであろう。すみれが親切な花かどうかはわ
からない。小さな植物であるからチョウやトンボの雨宿りは難しいであろう。
カエルが日除けするにも小さ過ぎる。アリとは仲良しかもしれない。仕事に
疲れたアリがすみれの葉陰で休んだり、時には雨宿りすることはあるだろ
う。そう言えば、すみれの花を撮影していると花の中や葉の裏に小さな虫を
見つけることがある。葉を食べる虫ではないことが多いので、これらの虫は
すみれと仲良しなのだろう。すみれはきっと、すみれ自身にできる範囲で親
切なのに違いない。

 最後に少々脱線するが、親切が仇となった私の失敗談を一つ。

 阪急電鉄は関西の私鉄の中で最もサービスの行き届いた鉄道会社であ
る。列車はすっきりした小豆色、駅は小奇麗で発車合図もスマートである。
駅員さんは言うまでも無く、駅構内の案内板やアナウンスも親切極まりな
い。

 さて、私が京都市内の大学に通っていた時のことである。阪急電車の運行
本数は多いので待っても5〜6分なのであるが、せっかちな関西人の代表で
もある私は飛び込み乗車の常習であった。その時も十三(じゅうそう)駅で京
都線から神戸線へ乗り換えた私は扉が閉まる寸前に列車に飛び乗った。そ
のためであろうか、閉まりかけたドアは再び開きアナウンスが流れた。『扉
が閉まります。足元にご注意ください』 夕方のラッシュ時だったので列車は
ほぼ満員で、飛び乗った私はお尻から列車にもぐりこんでいた。従ってドア
のすぐそばにいた。私は自分の足がドアに挟まりはしないかと思って下を向
いた。大丈夫、私の足は足先までちゃんとドアの内側にあった。ホッとした
次の瞬間、私の頭は閉まるドアに両側から挟まれた。下を向いた私の頭は
足の先より少し前、すなわちドアの外側にあった。一瞬頭を挟まれたがドア
はすぐに再び開いて私は頭を戻すことができた。周囲の乗客は笑いをこら
えるのに必死の様子であり、私は次の駅でそそくさと下車した。本来私が降
りる駅はもう一つ先であったが、流石に恥ずかしかったのである。

 自分で思い出しても笑ってしまうことであるから、その時の乗客は皆、本当
は腹を抱えて笑いたかったであろう。あの親切なアナウンスがなければ私
は足元を見ることもなく、頭を挟まれはしなかったであろう。親切がいつも良
い結果を生むとは限らないのである。

2004年7月7日

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