Viola Dream II

すみれと兄弟

最近は子供たちにあまり競争をさせない教育を良しとする傾向がある。過
度な競争は良くないかもしれないが、人は競争があってこそ成長するものだ
と私は思う。誤解のないよう言っておくが、勝つことが全てではない。多くの
場合、人は負けることでたくさんのことを学ぶ。

 プロ野球でも古くは村山投手と長島選手、比較的最近では野茂投手と清
原選手と言った強力なライバルの対決は切磋琢磨することでさらに互いが
強くなると言った相乗効果を生んだ。見るものも息を呑む彼らの真剣な対決
は、そのままプロ野球人気につながった。最近のプロ野球人気の低迷を解
決するための方法としてファンサービスが挙げる人が多いが、私はむしろ、
真のプロにのみ可能な真剣勝負、ライバル対決を増やすことが第一ではな
いかと考える。

ライバルとは反目しあう敵ではない。互いを認め合う競争相手である。プロ
野球選手に限らず、我々一般人にもライバルと呼べる者が存在する。例え
ば、兄弟は一番最初に遭遇しかつ永遠のライバルである。

私には二人の弟がいる。あるとき一番下の弟が母にこう言ったそうだ。『兄
二人はそれぞれ理系、文系で頑張っているから僕には選ぶものが無い』。
私は幼少時代から生き物が好きで理科や算数が得意だった。そんな私を見
た弟は、私の苦手な英語や社会科の勉強に励んだ。一番下の弟は、いわ
ゆる国語算数理科社会を兄たちに抑えられてしまったので、芸術に活路を
見出そうとした。

 私の二人の弟は私と比べて温厚な性格であり、兄弟同士真っ向から対決
することを回避したようである。そのおかげであろうか、就職先も全く異なる
業種である。
 幼少時はよく兄弟げんかをした。しかし、親の教育が良かったのか、弟た
ちの資質が良かったのか、私たち兄弟は仲が良いと言える。私が38歳の時
まで、兄弟で誕生日プレゼントを欠かさなかった。私が愛用している書類バ
ッグ、パソコンデスク、釣竿などは皆、弟からのプレゼントである。流石に40
歳を目前にして誕生日もなかろうと言うことで、とうとうその"行事"はなくな
ってしまったのは少し残念でもある。

 私は長男であるから、二人の弟に負けないよう努力した。もちろん、彼らに
勝てない部分もあった。しかし、ある意味、勝つことが宿命付けられた長男
と言うプレッシャーは私の向上心を育ててくれた。逃げることのできない立
場が私を開き直らせ、二人の弟というライバルが私を強くしてくれた。
『苦しんで強くなることが如何に崇高なことであるかを知れ』。ロングフェロー
の言葉である。仕事で辛い時などに口にするだけで、勇気付けられる言葉
の一つだと思う。

 すみれの兄弟はどうだろう。すみれの種子はタンポポと違って遠くまで飛
んで行くことができないから、必然的に親のそば、言い換えれば兄弟のそば
に芽吹くことになる。そこで彼らは土地や養分、光を争って闘う運命にある
のだろうか。

 すみれの仲間は時に大きな群落を形成していることがある。私の住む野
洲市でも、ノジスミレ、ヒメスミレ、アリアケスミレ、タチツボスミレ、ツボスミレ
がそうである。これらのすみれ達は、親兄弟で仲が良いのであろう。彼らの
群落を見ていると、まるで自分たちの一族が確保した土地に他の植物を侵
入させまいとするかのようだ。

『すみれの心』に書いたように、植物は仲間同士で"話す"ことができる。虫
や微生物からの攻撃を受けた場合、仲間に用心するよう伝えることができ
る。人間や動物は音で会話するが、植物は化学物質で話す。植物には敵が
多いから、お互いの"声"が聞こえる範囲にかたまって生活することは彼ら
にとって重要なことなのかもしれない。すみれの葉は柔らかで鋭い刺も持ち
合わせていない。従って彼らが敵の多い自然界で生き抜くためには、仲間
同士が寄り添い助け合うことが必要なのかもしれない。

 すみれも人間も、多くの場合、親は子より先に死ぬ。兄弟は親の亡き後も
長く共に生きることになる。仲違いすれば決別可能な友人と違って、血を分
けた兄弟の絆は固い。私の二人の子供も寄ると触ると兄弟げんかをしてい
るが、私が死んだ後も、いざというときは助け合って生きて欲しいものであ
る。

2004年10月3日

前へ  目次へ  次へ

トップへ
トップへ
戻る
戻る

https://ss295031.stars.ne.jp/