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Viola Dream II
中学・高校生時代の私は、とにかく引っ込み思案な上に赤面症だったの
で、人前で話すなどとてもできたものではなかった。中学時代の全校生徒を 挙げてのマラソン大会でもそうだった。中学3年生の時、持久力と根性につ いては人並み以上だった私は、ゴールまで500mほどの地点まで10位だっ た。順位を数えていた先生の一人が私に声を掛けてくれた。「頑張れ! こ のまま行けば10位だから表彰してもらえるよ!」
その一言で私の足は重くなった。表彰? 皆の見てる前で? 私は早く誰
かが私を追い抜いてくれることを祈った。
校門前の50mほどの坂を登りきればゴールは目の前だった。私が坂の下
にたどり着いた時、そこにはたくさんの女子生徒が応援のために並んでい た(女子生徒は男子生徒より短い距離を走るので先にゴールしていたので ある)。女の子が苦手だった私の足は更に鈍くなった。ちょうどその時、追い ついてきた3人の男子生徒が女の子の声援を受けて猛ダッシュし、私はたち まち13位に落ちた。真に情けない話であるがその瞬間、私は安堵の溜息を ついた。「これで表彰台に上がらずに済んだ・・・」
その後も私の引っ込み思案な性格は変わることなく、大学受験を迎えた。
それまで塾に通うこともなくほとんど勉強もせずにいた私は、大学入試もこ れまで通り何の苦労もなく受かるものだと思っていた。しかし、である。当た り前のことであったが、私は見事に落ちた。親しかった友人がその大学に受 かったにもかかわらず、何度探しても私の受験番号は合格者名簿になかっ た。
皆と一緒に予備校に通えば、誘惑に弱い私はきっとまた勉強しないだろ
う。そう考えた私は自宅で一人、受験勉強をすることに決めた。俗に言う宅 浪(自宅浪人の略かな?)である。と言っても一日中勉強していたわけでは ない。私は自分自身の心の問題の解決に多くの時間を費やした。
一体いつまでこんな状態を続けるのか。いつも他人の後ろにいるだけで良
いのか、本当は自分も一番になりたいのではないのか。自宅で独り受験勉 強をしながら、私は悩み続けた。私には何ができるのだろう? 何をしたい のだろう? 迷った挙句、私は今の職業につながる道を見つけた。そうだ、 昔から好きだった生き物に関わる仕事をしようじゃないか。やるからには一 番を目指そう、好きなことを思いっきりやろうじゃないか。2回目の受験を前 に、もう私に迷いはなかった。
ところで、私の母は少し変わった性格である。受験に失敗した私を気遣う
どころか、『浪人生は身分が低いのだから、昼食のおかずは1品だけ』とか、 ことある毎に『浪人生は文句を言うな』と散々に言われた。『嫌なら早く大学 生になれ=合格しろ』と言うことであり、母なりの叱咤激励だったようであ る。このような手段が万人に通用するか、はなはだ疑問であるが、少なくと も私の場合は精神的に随分鍛えられたようである。
さて、私が2度目の大学入試の時、共通一次試験では名前のあいうえお順
で席が決められた。その結果、私の前の席には私の弟が座って受験した。 受験中、ふと前を見ると弟の背中が見えた。もし再び入試に失敗すれば、 最悪の場合、弟が先に大学生となることもあり得る。冗談ではない!
私の二人の弟は、『すみれと兄弟』にも書いたように温厚な性格で、また
兄思いでもある。そのためかどうか定かではないが、幸いにも私は弟より先 に大学生になることができた。弟たちも兄に倣って(?)、1年ずつ浪人生活 を経験してから大学に行った。
大学に行ってからの私は自分で言うのも変な話であるが、すっかり性格が
変わった。良く言えば積極的、悪く言えばでしゃばりになった。私は他人の 後ろを歩く生き方を止めて、他人の前を行く道を選んだ。影に隠れることを 止めて、陽の当たる世界で暮らす道を選んだ。
山の中でひっそりと咲くタチツボスミレやツボスミレを見ると、ふと昔の自
分を思い出すことがある。タチツボスミレの淡く美しい青紫はこの世で最も 美しい紫色だと思うし、ニョイスミレの白い花はとても清楚で素敵だと思う。 山の中の少し翳ったところでも彼女達の花は凛とした美しさを感じさせてく れる。それでも、私はもう、そのころの自分に戻るつもりはない。さんさんと 陽の当たる場所で、アリアケスミレやシハイスミレのように生きたいと願う。
2005年5月8日
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